「ほっ」と。キャンペーン

CHIZU BLOG

カテゴリ:心の旅( 11 )

心の旅⑪ 早いもので四十九日でした

私の住んでいる地域では四十九日が三ヶ月にまたがると 良くないという言われがあるみたいで
本日 父の四十九日を行いました

四十九日間 亡くなった人は距離にしたら東京→大阪間ぐらいを歩いて修行するのだそうです
七日七日にいろんな菩薩さまに会って 時に説教され 時に励まされ 閻魔様にも会って
四十九日目に 今まで痛かったり苦しかったりしたところを薬壺で治してもらって
なんと20代ぐらいになるのだそう(父ちゃん21日に70歳になったと思ったら まさかの20代♪ヨカッタネ)
そしてやっと先祖や先に亡くなった友達とかに会って そこからまた旅が始まるのだそう

私 亡くなったら すぐ三途の川に知ってる人が待っててくれると思ってたけど違うんだ~

一人で怖くて四十九日も歩き続ける時に 私たちが鳴らす鐘の音とかロウソクの明かり・線香の煙が父の行く手を照らすんだと知りました

まっ きっと父のことだからタクシーに乗ったり 道草したりして道中楽しんで頑張ったに違いないかな


            お父さん 痛いとこなくなって良かったね
        これで また好きだったお酒も 刺身も お腹いっぱい食べれるね
           私たちは元気だよ 諒は明日 卒業式だよ
             ビートもお母さんと散歩楽しんでるよ
                 お父さん  修行頑張れヨ~

              
[PR]
by 4wanbesufuai | 2011-02-27 23:25 | 心の旅

心の旅⑩ 迎えられなかった誕生日

21日 今日は父の70歳の誕生日
1月 余命宣告を受けてから 「誕生日までは」「春までは」そう願ってきたけど叶わなかった
亡くなった日も葬儀の日も そしてそれからの七日七日の法事も本当に寒い日が続いて
こんなに雪が降る日が多い年は何年ぶりかのことでした
なので父の戒名には「寒山」という言葉が入っています(^^;)

誕生日の今日 久しぶりにポカポカした気持ちの良い日和でした
暖かい太陽の日差しが 「前を向けよ」と父が言っているようです

20日の日曜日の法事の日 不思議なことがあったんです
前日から帰省していた 弟と甥っ子を連れて 1時からの法事の時間まで
私とごぉちゃん 弟と甥っ子4人で実家からそう遠くない 「吉野ヶ里遺跡」に行って来ました
卑弥呼などで話題になって高床式倉庫など 発掘されているのですが あまりに近いと行かないもので みんな行ったことがなかったのです
到着して 入場券を私が買って みんなに配ったら あれ?1枚多い??
5人分買ってたんです なにも感じず5人分買って 配りながらも「あと1人どこ行った?」と聞いた私・・・車の中でも確かに5人いたんです

1枚余った入場券を見つめながら 「お父さん ついて来てたんだね」とみんなで言いました

車に乗るとき 弟が運転して 後部座席に私とごぉちゃんと甥っ子
助手席にお父さん乗ってたんだね

この話を法事の時に 和尚さんにしていた時 ろうそくの炎が 突然ボォォォと大きくなったり小さくなったりしたんですよ

いたんだね お父さん みんなの話ちゃんと聞いてるんだね

毎年 欠かすことのなかった誕生日プレゼント
大好きだった白い花のアレンジの花束を贈りました

お父さん 70歳おめでとう

また 【ここに居るぞアピール】して下さいね
[PR]
by 4wanbesufuai | 2011-02-21 09:40 | 心の旅

心の旅⑨ 弟

葬儀の最後の挨拶を弟がしました
その挨拶は
「私は 父が嫌いでした」から始まりました
きっと母も甥っ子諒君も参列していた皆さんがビックリしたと思うけど
私はそれが 「私のせい」だと言うのがわかっていました
弟は挨拶で 嫌いと言う言葉を使ったけれど 「苦手」という言葉をあえて「嫌い」と言ったのだと思います

苦手で父と話した記憶がほとんどない事
進路も何もかも相談することなく家を離れたこと
経営者だった父の会社を本当は継ぐべきではなかったのかと後悔していること
長男なのに実家を出たこと
父を尊敬していたこと そして 本当は沢山話したかったんだということ

その夜 翌日に仕事がある弟の嫁と学校がある甥っ子諒君は一旦帰り
実家に母と弟 ごぉちゃんと私が残りました 母とごぉちゃんが寝た後 リビングで2人になった時
今しか聞けないと思って 弟と話をしました

あんたさぁ 嫌いじゃなくて苦手やったんでしょ それって私のせいでしょ?
と言うと 弟は 「そうだよ」と言いました

父と私は性格がとてもよく似ていて周りからも「2人はそっくりだ」とよく言われていました
とにかく 子供の頃から父とは激しい喧嘩も日常茶飯事で 些細なことで爆発して
一気に言い合いになって オロオロと止めに入る母と それを冷静にジッと見てる弟という感じでした 言葉も相当きつかったと思います さすがに父は手を出すことはなかったけど
すごい剣幕で私と言い合っていました
が・・・5分後には2人とも 何が理由であんなにヒートアップしたのかわかんない(^^;)タイプで
ケロっとして一緒に買い物に行ったり馬鹿話したり(まるで 今のごぉちゃんと私の喧嘩みたい)
そういうのを見てきた弟は 変な感じで冷静になっていて
子供心に「親にこんな事を言ってはいけない」「心配かけてはいけない」と思っていたようです

そんなに激しかったっけ?と私

とにかく 沸点の低い2人で どうして そんなどうでもいいようなことから
喧嘩が始まって それでいて着火から噴火までが早くて・・・そして そんなに言い合っていながら
何事もなかったようにゲラゲラ笑って仲直りしているのが信じられなかった

のだそうです そしてそれが とても羨ましかったと・・・

弟が高校2年にあがると同時に私は東京へと出て2年間 弟は父母と3人暮らしになったのですが

その2年間 うるさい私がいなかったから 父ちゃんと話せたの?と聞くと
2年間の記憶がほとんどないと言うのです 食事の時間だけが父と顔を合わせる時で それが苦痛でいたたまれず すぐに食べ終えて席を立っていたって。

思えば 父が弟に話しかけることも 弟が父に話しかけることも見たことありません

私と弟では180℃ 父との関係は違うのです

それでも父と諒の関係は とても良いものでした 溺愛していたし話も良くしていました

息子とだけ ホント 話さなかったんだなぁ父は・・・・

お父さんは あんたを信用してた 独立してしっかり働いて結婚して子供を育てて 何1つ心配かけなかった お父さんの後ろ姿見て学んだんでしょ お父さん安心してたから何も言わなかったんだよ

葬儀に参列してくださった父の仕事の仲間の方が何人も
「俺の自慢の息子」と言って弟の話をしていたよと教えてくれました
嬉しそうに 仕事を頑張っている息子のことを話していたと・・・

父と息子の関係は 無言でも伝わっていたと思います
[PR]
by 4wanbesufuai | 2011-02-05 11:44 | 心の旅

心の旅⑧ ビート

父を病院から連れて帰って自宅に着いた頃には もう午前3時近くになっていました
座敷に父を寝かせ ビートに会わせてあげると それからビートは朝まで泣き続けて5時頃になって泣き疲れたように眠ってしまいました
26日納棺の儀式が終わって いよいよ父を葬儀の会場へと連れて行くとき
棺を自宅から出し 車に乗せると またビートは今度は泣くというより
遠吠えに似た長い声で それは「行くな 行くな」と言っているようでした
みんなで ビートに「お父さんも頑張ったからビートも頑張るんだよ」と声をかけ自宅を後にしました
葬儀では いろんな方が弔辞の言葉の中に 父とビートの話をして下さいました
散歩の時にいつも愛用していたジャンバーと帽子も祭壇には飾られました

葬儀が終わって火葬に向かう途中に自宅の前を通ってもらい ビートと最後のお別れを・・・と思ったのですが 車を止めて ビートと何度呼んでも ビートはこちらに尻尾を向けて
頑としてこちらを向きませんでした
早く逝った父に怒っていたのかな それても泣いてるとこ見られたくなかったのかな

この2.3年の闘病中でも父は毎朝毎夕 ビートの散歩をしていました
それさえ出来なくなった ここ数ヶ月
父もビートもいっぱいの寂しさがあったと思います
その気持ちを グッと受け止めている父もビートも男前だと思います

葬儀を終えた次の日(28日) 父と毎日散歩していた裏の公園へビートとごぉちゃんと行きました

その時 ちょっと離れた私に一生懸命走ってきたビートの姿 見てあげてください
(写真をクリックすると大きな画像でご覧になれます)
c0017311_111242.gif

今年15歳になるビート 「僕はまだまだ大丈夫 心配すんなよ親父」とでも言っているのかな
c0017311_1124792.jpg

これからも ビートと父が見れなかった菜の花や桜を見ていきたいと思います
[PR]
by 4wanbesufuai | 2011-01-31 11:03 | 心の旅

心の旅⑦ 初七日を終えて

c0017311_20332264.gif 父が旅立った日も 初七日の今日も雪が降る寒い1日となりました
お通夜・お葬式そして今日の初七日まで あれよあれよと時間が過ぎて
まだ父が病院にいるような気がしてしまいます

父は 人懐っこい人で 人を愛し愛された人でした
なのでお通夜にもお葬式には 父の仕事関係の人はもちろん
近所の子供たちが ビート爺ちゃんへとお手紙や折り紙を持って参列してくれたり 私の学生時代の友人達 また お年寄りにも好かれた人だったので 年齢層も幅広い人たちが送って下さいました

25日午前を過ぎての旅立ちだったので26日を通夜にし
丸1日ほど自宅で過ごしたのですが 納棺師の方が見えられ みんなで
父をお風呂に入れたり 体を拭いたり 化粧をしたり まるで 映画の「おくりびと」でした

そういう1つ1つが 心の準備を手助けしてくれたように思います

父の葬儀に参列してくださった皆さま・お花を届けて下さった皆さま
blogやメールにコメントを下さった皆さま そして心の中で 
いつも祈って下さっていた皆さまに 感謝の気持ちでいっぱいです

またblogへのコメントの返信が出来ておりませんこと 申し訳ありません
コメントは全て読ませていただいています
[PR]
by 4wanbesufuai | 2011-01-30 20:50 | 心の旅

心の旅⑥ 旅立ち

25日午前12時29分 弟夫婦と孫が帰ってくるのを一生懸命待って
家族・友人に見守られて旅立ちました
あまりにも突然の急変にまだ夢のようですが 最期まで痛みもなく苦痛に顔が歪むことなく
穏やかな最期でした
帰りたかった自宅で今日1日過ごし 明日通夜 明後日葬式にしました

午前中 母と交代して私と2人きりになって 「コーラ飲みたい」と言うので炭酸だから吐くかなぁと心配だったけど 2口ほど飲んで そのあと トイレしたいと言って 初めて 父の下の世話をしました
私に最後にさせてくれたんだなぁと思います 
お昼過ぎてからは薬の副作用で 懇々と眠っていました
そして母が叔母を送って また私と2人になったとき 血圧が一気に下がって呼吸が怪しくなり
急いで弟に帰って来るように連絡したけど 山口の岩国から どう頑張っても11時頃になると言うので 看護士さんも泣きながら 「11時まで頑張るように」と治療してくださいました
途中 携帯で弟や孫の声を聞かせながら 本当によく頑張りました

ずっと祈って応援してくださった皆さまへ

    ありがとうございました

しっかり見送ってきます
[PR]
by 4wanbesufuai | 2011-01-25 07:12 | 心の旅

心の旅⑤ 私が産まれた日

今日は私の誕生日 私は兵庫県高砂市で産まれました
父は神戸にある神戸製鋼に就職して生活が落ち着いてから母を兵庫によび 高砂市の商店街(アーケード)の化粧品店の2階に住んでいました
母がその化粧品店の店番をすることが借りる時の条件だったみたいです
私が5歳になるまで ここに暮らしていたのですが 父も母も この商店街暮らしが それはそれは楽しかったみたいです とにかく その当時は貧乏だったようですが 商店街の人みんなが父と母を応援してくれていたようで 私が産まれた時は 魚屋さんが鯛を 布団屋さんが布団一式を・・・という具合に あっちからこっちから育児用品が集まり 産まれてからも共働きの両親に変わって
私は いろんなお店の人の家で お風呂に入れてもらったり ご飯を食べさせてもらったようです
弟が産まれてからは 商店街を我が物顔で歩き回り 駄菓子屋さんでもタダ食いし おもちゃ屋さんでもタダ遊びしてたのは 記憶があります(^^;)
祖父の具合が悪くなったのを機に九州に帰ったのですが
私が6歳になったとき 弟と初めての2人旅に出た行先は この商店街でした
その時も駄菓子屋さんに泊まったって甲子園へ行った写真があります

私が産まれた日 暦の上では大寒で その日もすごい雪が降ったそうです
初めての出産だったので 母の実家からも おばぁちゃんが駆け付けてくれていたそうですが
父は1ヶ月を過ぎても 仕事に行かず ただただ 私の傍にいて ジィィィと顔を見ていたそうで
このままでは会社をクビになる(その当時男性の育児休暇もなかったからね)と ばあちゃんから怒られ やっと仕事に行ったのだそうです
それから 父本人も周りも そして私も私の友達も認める【娘大好き】が始まるのです

私 父に本当に愛されて育ちました 社会人になってからも父はいつも「ここぞ」って時に
盾となって 何も言わずドッシリとして私のピンチを受け止めてくれました

病院のベッドで痩せて私より小さくなった父に 「今日 誕生日♪」と言ったら
「ケーキを買ってあげんといかんな お母さん」って・・・。

きっと父には私は 幾つになっても 苺ケーキの子供なんだろうな

お父さん   私のお父さんになってくれてありがとう お父さんの子供に産まれて私は大正解だよ

本当に本当にそう思う・・・今年の誕生日です

c0017311_16111833.jpg

[PR]
by 4wanbesufuai | 2011-01-20 16:13 | 心の旅

心の旅④ 個室へ

日曜日 ごぉちゃんと一緒に父の顔を見に行くと しょんぼりな父・・・
昨夜 自分では全く記憶がないのだけど 夜中 トコトコ歩いて行って自分の病室がわからなくなったみたいで 違う部屋に座っていたそうです
父と同室の方が 「トイレにしては長いな」と気にかけて下さって 父を捜してくれて見つけて下さったそうです(この方も抗がん剤治療中だけど肝臓の数値が悪くて 治療お休み中)
朝 看護士さんに聞かされるまで 父は全然知らなかったみたいです

「頭が変になったか」と すごく気落ちしている父
寝ぼけてのことなんだけど 薬の副作用でテンションが高くなっていたのかもしれないと後から看護士さんに聞きました

食欲が落ちて 最近は1日1日衰弱しているように思えます
嘔吐の症状も出始めました 朝夕のおかゆもあまり食べれなくなり口数も少なくなりました
痛みはないようですが とにかく体がだるく 気力がない感じです

とても周りに気を使う父 嘔吐したりするのを同室の人に悪いなぁと思って
昨日 自分から 個室を希望して お部屋移動していました

元々は 人と話すのが大好きな父なので 個室は寂しくないか 病気とだけ向き合って気が滅入るのではないかと心配

自分でも この体調の悪さに不安を感じているだろうと思う
[PR]
by 4wanbesufuai | 2011-01-18 09:10 | 心の旅

心の旅③ 先生パワー

余命宣告を受けてから 苦痛や痛みが伴ってから会いたい人に会わせても 今しっかりしているうちに会ってもらった方がいいのかななどと思ってはみても
次から次から 一気に父の兄弟姉妹が来たりしたら 父が絶対勘付いてしまうだろうし・・・
なかなか難しいものです

父の様子ですが 溜まっていた水を利尿剤を使って出したことによって むくみが解消され
本人は楽になったのか 顔色もよく そんな余命1ヶ月には 全く見えません
痛みもないので 早く抗がん剤治療を再開出来るかと 戦う気力満々

今日は医大の時からの担当医が週1で外来に来られる日なので 父を見舞う前に母と2人
再度 見解を聞きました
やはり抗がん剤治療は無理だということ だけど父の気力があるうちは 「希望の嘘」付いて
体に害のない薬を 抗がん剤だと偽って処方することにした
状態は安定しているのだけれど 一番の危険は腸閉塞だそうです そうなると食べ物が口からは摂れなくなるので鼻から管を入れることになる そうしないでいいように願うばかりです

今の病院の先生も 医大の先生も とにかく話をとてもよく聞いて下さる
そしてなにより父が1番先生を信頼している

外来の診察が終わって医大の先生も必ず帰る前に父の病室を訪ねてくださる
今日も 「お水が出てしまってスッキリなって元気で安心したよぉ いつも顔見に来て元気なかったら どうやって励まそうかって思うんよぉ でも今日は元気だね」

父はすぐ 「抗がん剤いつから始められる?」「ずっと休んどったら ガンが広がらないか心配」
と質問していたけど
先生は明るく大きな声で 「お水が出てやっと体が準備に入ったとこだから これをキープして
体に合うものを考えておきます」と言って下さった

信頼している先生から言ってもらえるだけで 父は とっても安心したようでした

「希望の嘘」
先生は私たち家族を気遣ってくれたけど その嘘が本当に父に元気をくれると思う
そしてミラクルな時間をくれると信じてる

c0017311_1546476.jpg

[PR]
by 4wanbesufuai | 2011-01-12 15:46 | 心の旅

心の旅② 余命宣告

5日再入院した際に1ヶ月ぶりのCT・血液などの1通りの検査をしました
7日先生に呼び出されて 母と検査の結果を聞きに行きました
そこで下された診察結果は
「余命1ヶ月」という信じられない言葉でした
私は検査結果を聞く前に 父の病室に行ったのですが 顔色もよく「ラジオ欲しい」だの「ヘッドホンもいる」だの そして「なんか抗がん剤治療が1週間伸びた」というので
「体力戻ってから ゆっくり始めたらいいね」と話したばかりでした
12月最初 副作用が強くて かなり衰弱した父は1ヶ月抗がん剤治療をやめました
副作用から解放され 食欲も出て年末退院した時は10㌔も体重が増えたほどです
ですが その休んだ時間に ガンは爆発的に大きくまた他の箇所にも転移が見られ
胸やお腹には 水が溜まっていました
先生から 「お正月 自宅でも相当きつかったはずです」と言われ寝室からリビングにさえ出てこなかった様子が浮かび 出てこなかったのではなく 出てこれなかったんだと思い知らされました
なのに 父は頑張って頑張って 私と雪降る中 魚市へ行ったんだね
もう会計も終わったのに 私がジィィィッと蟹見つめてたら 「買え買え♪」って車の中から財布投げてくれたね
トロ箱いっぱいの塩イワシを買い込んで どうするのかと思ったら 
お父さんのGF 2歳のまーちゃんに届けるためだったね 私がAKIRAを可愛がるように 父にも近所に住む まーちゃんという存在がいます
父のことを ビート爺ちゃんと呼んでは毎日のように遊んでいます
元気な時は父も毎日 まーちゃんちに行っていたので そこの家族のように良くしてもらっています

もう治療は出来ません  体力がもたないのです
ですが 父は治療をする気で入院しています 希望を持っています 頑張ろうという気持ちがあります
その気持ちがあるうちは 告知をせず 日々を前向きに過ごさせてあげたいと思っています
様態が変化してくれば 自分でも思うことろが出て来ると思います
その時に 家族揃って父と一緒にもう1度先生の話を聞くことにしようと思います

これからは しばらく本当のことを隠しての看護になります

余命と言われて 命に時間をカウントしていく日々ではなく
1日1日を気持ちよく過ごせるように やっていきたい・・・いけるかな・・・

結果を聞いて病院を出ると なんだか夢のようで遠い昔のようで ワァァと泣きたいけど泣けない
泣いたら本当になってしまいそうで・・・。
[PR]
by 4wanbesufuai | 2011-01-08 10:00 | 心の旅